新潟水俣病2014現地調査(主催:新潟水俣病共闘会議)が実施されました。
新潟水俣病の公式発見は、1965年6月です。来年6月に、公式発見から50年を迎えます。
加害企業が、熊本はチッソ株式会社、新潟は昭和電工株式会社と異なりますが、同じメチル水銀化合物が、熊本は不知火海へ、新潟は阿賀野川へ排水されました。
新潟水俣病については、2013年12月に、ノーモア・ミナマタ新潟第2次訴訟が提訴されています。
私たちと同様、全ての水俣病被害者救済の実現を目指しています。
現地調査では、
鹿瀬発電所、旧昭和電工鹿瀬工場を高台から見学し、
かつてメチル水銀が排水されていった排水溝を見学しました。
(排水溝の様子)
ノーモア・ミナマタ新潟第2次訴訟原告団長皆川榮一氏の居住地域である釣浜地域の河原において、当時の生活状況を聴取しました。
(皆川栄一氏の漁場)
その後、新潟水俣病資料館において、「水俣病の解決はどうあるべきか」というテーマで、被害者交流会が行われました。
被害者交流会の内容は下記のとおりです。
1 中村洋二郎新潟水俣病共闘会議議長による提起
水俣病全被害者救済のための恒久制度のあり方、恒久制度をどのような運動によって実現していくかなど、「水俣病の解決はどうあるべきか」提起されました。
2 報告
(1)新潟水俣病阿賀野患者会 ノーモア・ミナマタ新潟第2次訴訟原告団団長皆川榮一氏
(2)水俣病不知火患者会 ノーモア・ミナマタ第2次訴訟原告団副団長森正直氏
(3)関川智子医師
森副団長は、膨大な被害者が救済されずに取り残されている最大の原因は、これまでの水俣病被害者救済制度が、「加害者が被害者の被害の判定をする」という異常さにあるということ、中立的に被害を判定する「恒久的な司法救済制度」を求めていることについて報告しました。
(森副団長の報告場面)