1956年5月1日、水俣病の発生が公式に確認され、1965年6月12日、第二の水俣病である新潟水俣病が公表されました。
2004年には、加害企業チッソの責任に加えて、水俣病関西訴訟最高裁判決で、国、熊本県の水俣病発生・拡大についての法的な責任が確定しました。
2009年に成立した「水俣病被害者救済特別措置法」によって、5万人余の被害者が救済され汚染と被害の広がりが明らかになりました。
しかし、地域と年代の線引きによって1万人近くが切り捨てられ、国がわずか2年3か月で特措法の救済の受け付け窓口を締め切ってしまったため、多くの被害者が今なお放置されています。
そこで、放置されてきた水俣病被害者が加害企業チッソ、国、熊本県に対して補償を求め熊本、東京、大阪の各地方裁判所にノーモア・ミナマタ第2次訴訟を提起しました。
新潟水俣病についても加害企業昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)と国に対して新潟の裁判所に提起しました。
2023年9月27日、大阪地裁の全員勝訴の判決に続き、今年3月、4月には熊本、新潟の裁判所が相次いで判決を下しました。
この3つの判決の対象となった317名のうち179名の原告を水俣病と認めました。
これらの3地裁判決が共通して明らかにしたことは、これまで行政の救済制度から漏れ、放置されてきた水俣病被害者が多数取り残されている事実です。
他方、原告らの平均年齢は75歳を超え、亡くなる者も後を絶たず、「生きているうちに救済を」は悲痛な叫びとなっており、一刻も早い解決が求められています。
こうしたなか、2024年5月1日の環境大臣と被害者団体との懇談の席で、環境省が被害者の訴えを一方的に遮断するマイク切り事件が起きました。
国(環境省)は、最高裁で法的責任が確定した加害者であるにもかかわらず、また3地裁判決がこれまでの行政施策が誤りであったことを断罪したにもかかわらず、自己を省みるどころか、このような暴挙に出たのです。
これ以上の被害者の切り捨ては、到底許されるものではありません。
すべての水俣病被害者を一刻も早く救済することを求める署名に、どうかご協力くださいますよう心からお願い申し上げます。
<署名の趣旨に賛同いただいた方々>
アイリーン美緒子スミス(グリーン・アクション代表)
加藤 登紀子(歌手)
神田 香織(講談師)
小室 等(音楽家)
潮谷 義子
中村 桂子(生命誌研究者)
三枝 三七子(絵本作家)
水戸岡 鋭治(デザイナー)
宮本 憲一(大阪市立大学名誉教授)
山口 二郎(法政大学教授)
山田 洋次(映画監督)
葉 祥明(画家)
(50音順、敬称略)
<署名集約先>
ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議
(略称、ノーモア・ミナマタ全国連)
〒867-0045
熊本県水俣市桜井町2-2-20
電 話:0966-62-7502
FAX:0966-62-1154
【すべての水俣病被害者を一刻も早く救済することを求める署名用紙】
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