水俣病とは,チッソ株式会社が排出した工場廃液に含まれるメチル水銀(有機水銀の一種)によって汚染された魚介類を摂取することで起こる健康障害のことをいいます。
水俣病はこのように,企業が排出した工場廃液が汚染原因となっている点で,単なる有機水銀中毒症とは区別され,公害病の一つとして扱われています。
水俣病の原因物質であるメチル水銀は,体内に摂取されると主に脳細胞に作用し,様々な障害を与えました。
発生当初は,手足が曲がったりけいれんを起こしたり錯乱状態となり発病から数週間で亡くなってしまう重症の患者も多数いました。
今現在,水俣病と診断される患者の多くは,以下のような様々な症状や日常生活の不便を抱えています。実際の裁判で苦しい症状や心情を訴えた水俣病被害者の声はこちらを御覧ください(「被害者の声」)。
1950(昭和25)年ころから,水俣湾沿岸地域で魚が大量に浮上したり,猫が狂い死にするなどの現象が見られるようになりました。
当初,原因は分からず,奇病や伝染病として地元では怖れられていました。
1956(昭和31)年5月1日,チッソ株式会社(当時の商号「新日本窒素肥料株式会社」)水俣工場付属病院長が,原因不明の中枢神経疾患が発生したことを水俣保健所に届け出ました。この日が,水俣病の公式確認の日にあたります。
当時,水俣病の原因となるメチル水銀は,チッソ水俣工場で化学製品の原料(アセトアルデヒド)を製造する工程で生成され,それが工場廃水に含まれた状態で不知火海に排出されていました。不知火海に流されたメチル水銀は,食物連鎖を通じて魚介類の体内で蓄積されていき,その汚染された魚介類を地域住民がたくさん食べたことによって,水俣病という深刻な公害病が広がることとなりました。
メチル水銀による汚染は,老若男女を問わず地域住民のすべてに及び,さらには,未だ生まれていない胎児にまで被害を及ぼしたのです。
チッソは,メチル水銀を含んだ廃液をそのまま海に流しました。利潤のみを追い求め,工場廃液を排出し続けた結果,水俣病患者の大量発生を招きました。
チッソのこのような行いに明らかな過失があることは,裁判所においてもはっきりと認められました。
チッソの責任は,単なる過失にとどまるものではありません。
チッソはこれまでに様々な悪質な行為を行ってきました。そのうち一部を紹介します。
国及び熊本県の責任(国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任)については,すでに最高裁判所の2004(平成16)年10月15日判決により確定しています。
では,実際に廃液を排出したわけではない国や熊本県が,水俣病被害者に対して賠償責任を負うのはなぜでしょうか?
国や熊本県は,チッソの工場廃液の排出を止める規制権限を持っていました。しかも,水俣病の原因はチッソの廃液である可能性が高く,水俣病患者が次々に発生していたことからすれば,国や熊本県は,権限を使うべきだったといえます。しかし,国や熊本県はその権限を使わず廃液の垂れ流しを放置しました。そのため,多くの被害者を生んだ責任があります。