ホーム > トピックス一覧 > 2014年ミナマタ現地調査(1日目)

2014年ミナマタ現地調査(1日目)

  • 2014.08.23
    水俣病の被害の実態を明らかにするため、水俣病不知火患者会などで構成される2014年ミナマタ現地調査実行委員会の主催で2014年ミナマタ現地調査が行われました。

    現地調査は昭和53年から毎年行われており、今回は、鹿児島県伊佐市で行われました。
    目的は、山間部への水俣病被害の広がりを解明することです。

    同日午後より、大口元気こころ館において、現地からの報告会が行われました。

    会場には、伊佐市副市長時任良倫氏、伊佐市健康長寿課課長吉加江光洋氏、湧水町保健衛生課課長藤垣勇治氏にお越しいただきました。

    (開会のあいさつを行う水俣病不知火患者会大石利生会長)



    まず、北岡秀郎氏より、当時の水俣と大口(現在の伊佐市)との間に歴史的に深いつながりがあること、旧国鉄山野線(現在は廃線)によって水俣と大口の間で盛んに物流が行われていたことが報告されました。

    次に、水俣病被害者らから、当時の旧国鉄山野線に多くの行商人が乗っており、水俣で仕入れた魚を売り歩いていたことや、被害の状況について話がありました。

    水俣病被害者の一人である80代の女性は、「嫁ぎ先の商店で義父が水俣から仕入れた魚をたくさん売っていた。自分も30代のころから足がひどくしびれるようになり、立ち上がれないほどだった。今も手足のしびれに苦しんでいる。」と話しました。

    また、水俣病被害者の西本国昭氏は、「(水俣の魚を多食したという)当時の客観的な証拠を集めることは非常に難しい。被害者らは高齢になっており、時間がない。」と強く訴えました。

    (水俣病被害者らに時間が残されていないと訴える西本国昭氏)



    その後、公害をなくす熊本県民会議医師団団長の藤野糺医師より、平成24年4月に伊佐市において行われた水俣病検診について、山間部の住人にも水俣病の症状が認められたことが報告されました。

    報告会終了後、水俣病検診が行われた山野小学校、旧国鉄山野線が通っていた布計駅跡地などを見学しました。

    (旧国鉄山野線布計駅跡地)



水俣病不知火患者会